TORQUEトーク

2026/05/03 16:09

「嘘が付けないサラリーマン」 第14話~第20話


第14話

翌朝。
秋川は、昨日より少しだけ早く目が覚めた。

胸の奥に、
昨日の返事の余韻がまだ残っている。

――恋人……
 北見さんと……恋人……

スマホを見る。
通知はまだない。

でも、
不安ではなかった。

“今日、会えばわかる”
そんな確信があった。

出社すると、
北見はすでに席にいた。

秋川が来たことに気づくと、
ほんのわずかに微笑んだ。

昨日までとは違う、
恋人の笑顔だった。

秋川の胸が静かに跳ねる。

二人は、
誰にも気づかれないように
自然と視線を交わした。

その視線だけで、
胸の奥が温かくなる。

昼休みが近づいたころ。
北見が、
周囲に気づかれないように
そっと秋川の席に近づいた。

声は小さく、
でも真っ直ぐで、
昨日より“恋人の距離”だった。

「……秋川さん。
 今日、帰り……少し時間もらえますか」

秋川の胸が跳ねる。

「……はい。
 大丈夫です」

北見は、
一度だけ息を吸ってから続けた。

「……その……
 ちゃんと……二人で過ごしたくて」

その“過ごしたくて”は、
恋人としての最初のお願いだった。

秋川は、
胸の奥が静かに熱くなるのを感じた。

「……私も……
 北見さんと……過ごしたいです」

二人の視線が重なる。

触れない距離。
でも、
触れたような距離。

定時。
オフィスのざわめきが少しずつ薄れていく。

秋川が席を立つ。
北見も自然と隣に並ぶ。

昨日より半歩近い距離。
恋人になった距離。

エレベーターの中。
沈黙。
でも、
その沈黙は優しかった。

外に出ると、
夕方の光が二人を包む。

北見は、
少しだけ照れたように言った。

「……あの……
 よかったら……
 一緒にご飯、行きませんか」

秋川は、
胸の奥が静かに震えた。

「……行きたいです」

その返事は、
恋人としての“初めてのデート”の始まりだった。

夕方の風が、
二人の影を寄り添わせる。

“恋人として歩き出す、最初の夕方”

第15話

夕食を終え、
店を出ると夜風がふわりと吹いた。

街灯の光が二人の影を長く伸ばす。

秋川と北見は、
自然と並んで歩いていた。

触れない距離。
でも、
恋人になった距離。

秋川は、
胸の奥が静かに温かくなるのを感じていた。

――恋人として歩くの……
 こんなに……嬉しいんだ……

北見は、
歩幅を秋川に合わせながら
時々、横目で秋川を見ていた。

その視線が、
昨日までとは違う温度だった。

信号待ち。
二人は横に並んで立つ。

風が弱く吹き、
秋川の髪が少し揺れた。

北見が、
その揺れを見て
そっと言った。

「……寒くないですか」

声が優しい。
恋人の声だった。

秋川は、
胸の奥が静かに跳ねた。

「……大丈夫です」

その瞬間、
二人の手が
ほんの一瞬だけ
“触れないまま触れたように”近づいた。

触れていない。
でも、
触れたように感じた。

秋川は、
息を吸うのを忘れた。

北見も、
その距離に気づいていた。

信号が青に変わる。
でも、
二人は一瞬だけ動けなかった。

“恋人としての最初の触れそうな瞬間”
が落ちていた。

歩き出したとき。
前から、
北見の同僚らしき女性が歩いてきた。

「あ、北見さん。こんばんは」

北見は軽く会釈した。

「こんばんは。お疲れさまです」

その女性は、
秋川の存在に気づいて
一瞬だけ視線を向けた。

「……あ、すみません。
 お二人で……?」

北見は、
少しだけ照れたように言った。

「……はい。
 一緒に帰ってるところで」

その言い方は自然だった。
嘘も隠しもない。

でも――
秋川の胸の奥が
ふっと揺れた。

小さな、
でも確かな揺れ。

――あ……
 これ……嫉妬……?

北見が誰かに声をかけられる。
自分以外の誰かに向ける笑顔。
その全部が、
胸の奥を少しだけ締めつけた。

初めての感情だった。

でも、
嫌な痛みではなかった。

“好きだからこそ生まれる痛み”
だった。

女性が去ったあと、
北見は秋川のほうを見た。

「……ごめん。
 驚かせたかも」

秋川は、
胸の奥の揺れを抱えたまま
小さく首を振った。

「……いえ。
 大丈夫です」

でも、
声が少しだけ震えていた。

北見は、
その震えに気づいた。

気づいたけれど、
すぐには触れなかった。

触れないまま。
でも、
触れたような距離で
二人は歩き続けた。

夜風が、
二人の影を寄り添わせる。

同僚の女性が去ったあと、
夜風がふっと二人の間を通り抜けた。

秋川は、
胸の奥の小さな痛みを抱えたまま
静かに歩き出した。

北見は、
その歩き方の“ほんのわずかな変化”に気づいた。

昨日までの秋川なら、
こんなふうに視線を落としたまま歩かない。

呼吸のリズムも、
歩幅の揺れも、
全部が少しだけ違っていた。

――……秋川さん、
 今……揺れてる……

北見は、
その揺れを“嫉妬”だとすぐに理解した。

理解した瞬間、
胸の奥が静かに熱くなった。

“自分のことを、そんなふうに思ってくれている”
という事実が、
嬉しくて、愛しくて、
でも同時にそっと抱きしめたくなるような痛みだった。

北見は、
歩きながら小さく息を吸った。

そして、
秋川の横顔を見て
静かに言った。

「……さっきの人、ただの同僚です。
 仕事の話しかしないし……
 特別な関係じゃないです」

声は柔らかく、
秋川の揺れを包むようだった。

秋川は、
驚いたように顔を上げた。

北見は続けた。

「……秋川さんが、
 嫌な気持ちになってたら……
 ごめん」

その“ごめん”は、
謝罪というより
“あなたの気持ちを大事にしたい”
という意味だった。

秋川の胸が、
静かに震えた。

――気づいて……
 くれたんだ……

秋川は、
胸の奥の痛みが
少しずつほどけていくのを感じた。

「……いえ……
 嫌とかじゃなくて……
 ただ……」

言葉が続かない。

北見は、
その続かない言葉の意味を
そっと受け取った。

「……大事にします。
 秋川さんの気持ち」

その一言で、
秋川の揺れは完全にほどけた。

胸の奥が、
静かに温かくなる。

――この人と……
 恋人になれてよかった……

駅が近づく。

街灯の光が、
二人の影を寄り添わせる。

秋川は、
歩きながらふと気づいた。

――手……
 触れそう……

触れていない。
でも、
触れたように感じる距離。

北見も、
その距離に気づいていた。

でも、
触れなかった。

触れないまま。
でも、
触れたように。

駅の前で立ち止まる。

夜風が静かに吹く。

二人は、
言葉を交わさない。

でも、
沈黙が語っていた。

“今日はここまで。でも、もう次が待っている”

秋川は、
胸の奥が静かに熱くなるのを感じた。

北見は、
秋川の横顔を見て
そっと微笑んだ。

触れないまま。
でも、
触れたような沈黙。

その沈黙が、
二人の夜をそっと締めくくった。

第16話

翌朝。
秋川は、昨日よりも少しだけ軽い気持ちで目を覚ました。

胸の奥に残るのは、
昨夜の触れない沈黙。
北見の優しさ。
そして、自分の小さな嫉妬に気づいてくれたこと。

――今日……
 どんな顔して会えばいいんだろう……

嬉しさと、
少しの照れが混ざっていた。

出社すると、
北見はすでに席にいた。

昨日よりも柔らかい表情で、
秋川のほうを見た。

でも、
すぐには声をかけない。

周囲に気づかれないように、
自然に、静かに。

秋川が席に着いた瞬間、
パソコンの横に
小さな紙袋が置かれていることに気づいた。

中をのぞくと、
秋川がよく飲んでいる
お気に入りのハーブティーが入っていた。

メモが一枚。

「昨日、帰りに寄って買いました。
 無理しないで、ゆっくり飲んでください。」

名前は書いていない。
でも、誰が置いたかはわかる。

秋川の胸が、
静かに熱くなった。

――これ……
 北見さんが……
 “行動で”……

言葉じゃなくて、
触れないまま、
でも確かに伝わる優しさ。

恋人としての最初の行動だった。

秋川は、
紙袋をそっと抱えたまま
席に座った。

胸の奥が温かい。
昨日の嫉妬も、
昨夜の沈黙も、
全部が静かにほどけていく。

――こんなふうに……
 大事にしてくれるんだ……

そのとき、
北見が自然な動きで近づいてきた。

周囲に気づかれない距離で、
小さく声を落とす。

「……昨日の帰り、
 少し寒そうだったから……」

秋川は、
胸の奥が跳ねるのを抑えられなかった。

「……ありがとうございます。
 すごく……嬉しいです」

北見は、
ほんのわずかに微笑んだ。

その笑顔は、
言葉よりも深く伝わるものだった。

二人は、
ほんの数秒だけ
言葉を交わさずに立ち尽くした。

触れない距離。
でも、
触れたような距離。

昨日の夜の沈黙とは違う。

今日は、
“恋人としての静かな安心”
が落ちていた。

北見は、
その沈黙を壊さずに
静かに席へ戻った。

秋川は、
胸の奥の温かさを抱えたまま
パソコンを開いた。

日常の音が戻る。
でも、
二人の世界は確かに変わっていた。

“行動で示された恋の朝”

第17話

北見からのハーブティー。
優しいメモ。
静かな笑顔。

秋川の胸の奥は、
朝からずっと温かかった。

――恋人って……
 こんなに優しいんだ……

でも、
その温かさの中に
ふっと影が落ちたのは、午前10時すぎ。

北見の席に、
別部署の女性が来ていた。

「北見さん、昨日の件なんですけど……」

仕事の話。
それはわかっている。

でも、
その女性が自然に笑って話す姿。
北見が真剣に聞いている横顔。

その全部が、
秋川の胸の奥を
ほんの少しだけざわつかせた。

――また……
 この感じ……

昨日の帰り道に感じた
あの小さな嫉妬が
静かに顔を出した。

もちろん、
北見は悪くない。
相手も悪くない。

でも、
胸の奥が少しだけ痛む。

“恋人になったからこそ生まれる揺らぎ”
だった。

秋川は、
自分の胸の奥の揺れに気づきながら
静かに息を吸った。

昼休み。
秋川が席を立とうとした瞬間、
北見が自然な動きで近づいてきた。

「……秋川さん。
 今日、一緒に……どうですか」

声は小さく、
でも昨日よりも恋人の距離だった。

秋川は、
胸の奥の揺れを抱えたまま
小さく頷いた。

二人は、
人の少ない休憩スペースへ向かった。

席に着くと、
北見は秋川の表情を見て
すぐに気づいた。

「……何か、ありましたか」

その言い方は、
責めるでもなく、
探るでもなく、
ただ“気づいている”声だった。

秋川は、
胸の奥が静かに揺れた。

――気づいてくれるんだ……

少しだけ迷ってから、
ゆっくり言った。

「……午前中……
 ちょっとだけ……
 胸がざわついて……」

北見は、
すぐに理解した。

「……さっきの人のこと、ですか」

秋川は、
小さく頷いた。

北見は、
一度だけ息を吸ってから
静かに言った。

「……秋川さんが、
 そんなふうに思ってくれるの……
 嬉しいです」

その“嬉しい”は、
軽い言葉じゃなかった。

“あなたの気持ちを大事にしたい”
という意味だった。

秋川の胸の奥が、
静かにほどけていく。

北見は続けた。

「……でも、
 不安にさせたなら……ごめん。
 俺が見てるのは……秋川さんだけです」

その言葉は、
昨日の夜の沈黙よりも深く響いた。

秋川は、
胸の奥が熱くなるのを抑えられなかった。

「……ありがとうございます……
 すごく……安心しました」

二人は、
触れない距離のまま
でも触れたような距離で
静かに微笑み合った。

“恋人として初めての深い会話”
が、
昼休みの光の中で静かに結ばれた。

昼休みの会話が終わり、
二人は席へ戻った。

秋川は、
胸の奥が静かに温かいまま
午後の仕事に向かった。

――北見さん……
 気づいてくれて……
 ちゃんと向き合ってくれて……

その余韻がずっと残っていた。

午後3時すぎ。
ふと、秋川のデスクに
北見がそっと近づいた。

周囲に気づかれないように、
自然な動きで。

「……秋川さん。
 さっきの資料、
 俺のほうで確認しておきます」

それは本来、
秋川がやる予定の作業だった。

「……でも、私――」

言いかけた秋川に、
北見は静かに言った。

「……無理しないでほしいんです。
 今日は……特に」

“今日は特に”。

その言葉の意味が、
胸の奥に静かに落ちた。

――私の気持ちに気づいて……
 そのうえで……守ろうとしてくれてる……

恋人としての行動。
言葉よりも深く伝わる優しさ。

秋川は、
胸の奥が熱くなるのを抑えられなかった。

「……ありがとうございます。
 助かります」

北見は、
ほんのわずかに微笑んで
静かに席へ戻った。

その背中が、
昨日までよりずっと近く感じた。

午後の仕事が始まる前、
二人は休憩スペースから戻るために
並んで歩いていた。

人の気配はある。
でも、
二人の世界は静かだった。

歩幅が自然と揃う。
呼吸のリズムも揃う。

触れない距離。
でも、
触れたような距離。

秋川が
ほんの少しだけ歩幅を緩めると、
北見も同じタイミングで緩めた。

また、
どちらが先かわからない。

でも、
二人は同じリズムで動いていた。

休憩スペースの出口で
一瞬だけ立ち止まる。

その瞬間、
二人の手が
“触れないまま触れたように”
近づいた。

触れていない。
でも、
触れたように感じた。

秋川の胸が跳ねる。
北見の呼吸が揺れる。

言葉はない。
でも、
沈黙が語っていた。

“恋人としての距離が、また一段深まった”

その沈黙は、
甘くて、
静かで、
触れないまま触れたような余韻だった。

第18話

定時が近づくころ、
秋川はふと気づいた。

――今日は……
 私から……近づきたい……

昨日も、今日も、
北見が優しく距離を縮めてくれた。

でも、
恋人になったのなら、
自分からも一歩踏み出したい。

その気持ちが、
胸の奥で静かに形になっていた。

定時のチャイムが鳴る。

周囲がざわつき始める中、
秋川はいつもより少しだけ早く席を立った。

北見が気づく。
目が合う。

秋川は、
ほんのわずかに微笑んで
小さく頷いた。

“行きましょう”
と言葉にしなくても伝わる合図。

北見の表情が、
驚きと嬉しさで柔らかくほどけた。

――秋川さんから……
 誘ってくれた……

その事実だけで、
北見の胸の奥が静かに熱くなる。

二人きりのエレベーター。

昨日よりも、
今日のほうが近い。

秋川が半歩近づく。
北見も自然と同じ距離に寄る。

触れない距離。
でも、
触れたような距離。

沈黙が落ちる。
でも、
その沈黙は甘かった。

秋川は、
胸の奥が静かに跳ねるのを感じていた。

――こんなに近くても……
 怖くない……

むしろ、
安心する。

外に出ると、
夕方の風が二人を包む。

昨日は、
北見が自然と隣に並んだ。

でも今日は――
秋川が自分から
北見の横に歩み寄った。

その動きは小さい。
でも、
恋人としては大きな一歩。

北見は、
その距離に気づいて
胸の奥が静かに揺れた。

――秋川さん……
 自分から……来てくれた……

二人の影が、
昨日よりも近く寄り添う。

歩きながら、
秋川はふと気づいた。

――手が……
 昨日より近い……

触れていない。
でも、
触れたように感じる距離。

北見も、
その距離に気づいていた。

でも、
触れない。

触れないまま。
でも、
触れたように。

二人の歩幅が揃う。
呼吸が揃う。
視線が揺れる。

沈黙が落ちる。
でも、
その沈黙は昨日より深かった。

“恋人としての距離が、確かに進んだ夜”

秋川の胸の奥は、
静かに、確かに、温かかった。

第19話

昨日、秋川が自分から距離を縮めてくれた。
その半歩が、北見の胸の奥にずっと残っていた。

――秋川さん……
 自分から来てくれた……

その嬉しさが、
今日の北見の表情を柔らかくしていた。

定時。
秋川が席を立つ。
北見も自然と隣に並ぶ。

昨日より、
今日のほうが近い。

二人きりのエレベーター。
沈黙。
でも、昨日より深い。

秋川は、
胸の奥が静かに跳ねるのを感じていた。

北見は、
秋川の呼吸の速さに気づいていた。

触れない距離。
でも、
触れたような距離。

数字がひとつずつ減るたびに、
二人の距離が静かに近づいていく。

外に出ると、
夕方の光が二人を包む。

昨日よりも、
今日のほうが影が寄り添っていた。

歩き出してすぐ、
北見が静かに言った。

「……秋川さん」

声が、昨日より深い。
昨日より近い。
昨日より“恋人の声”だった。

秋川は、
胸の奥が静かに揺れた。

北見は続けた。

「……もしよかったら……
 今度の休み……一緒に出かけませんか」

その“出かけませんか”は、
ただの誘いじゃなかった。

“恋人として、ちゃんと時間を過ごしたい”
という意味だった。

秋川の胸が、
一気に熱くなる。

「……行きたいです。
 北見さんと……一緒に」

その返事は、
昨日よりも今日のほうが自然だった。

北見の表情が、
静かにほどける。

――秋川さん……
 こんなふうに言ってくれるなんて……

二人の歩幅が揃う。
呼吸が揃う。

触れない距離。
でも、
触れたような距離。

駅が近づく。

街灯の光が、
二人の影を寄り添わせる。

秋川は、
ふと気づいた。

――手が……
 昨日より……近い……

触れていない。
でも、
触れたように感じる距離。

北見も、
その距離に気づいていた。

でも、
触れない。

触れないまま。
でも、
触れたように。

駅の前で立ち止まる。

夜風が、
二人の間をそっと通り抜ける。

秋川が、
ほんのわずかに手を動かした。

北見も、
同じタイミングで動いた。

また、
どちらが先かわからない。

でも、
二人の手は“触れそうな距離”で止まった。

触れない。
でも、
触れたように。

沈黙が落ちる。
甘くて、
静かで、
決定的な沈黙。

秋川の胸が震える。
北見の呼吸が揺れる。

“恋人として、初めて触れそうになった夜”

その瞬間を壊さないように、
二人はしばらく動けなかった。

第20話

目が覚めた瞬間、
秋川の胸の奥に
昨夜の“触れそうだった距離”が
ふっと蘇った。

――あのとき……
 本当に……触れそうだった……

触れていない。
でも、
触れたように感じた。

その一瞬が、
胸の奥に静かに残っている。

そして、
その残り香のような温度が
秋川の中に“新しい感情”を生んでいた。

“もっと近づきたい”

昨日までは、
ただ嬉しくて、
ただ温かくて、
ただ安心していた。

でも今日は違う。

“触れたい”
という気持ちが、
初めてはっきり形になっていた。

秋川は、
その気持ちに自分で驚いた。

――私……
 こんなふうに思うんだ……

恋人になったからこそ生まれる、
静かで、でも確かな欲。

胸の奥が、
昨日より少しだけ熱い。

オフィスに入ると、
北見はすでに席にいた。

秋川に気づくと、
昨日より柔らかい笑顔を向けた。

でもその笑顔の奥に、
ほんのわずかな照れが混ざっていた。

――北見さんも……
 思い出してる……?

秋川は、
胸の奥が静かに跳ねた。

北見は、
自然な動きで秋川の席に近づき
小さく声を落とした。

「……昨日……
 帰り……その……」

言葉が少しだけ詰まる。

北見がこんなふうに
言葉を探すのは珍しい。

秋川の胸が、
さらに熱くなる。

北見は、
視線をそらさずに続けた。

「……手……
 触れそうでしたね」

その一言で、
秋川の胸が一気に熱くなった。

――やっぱり……
 北見さんも……思ってたんだ……

触れなかった。
でも、
触れたようだった。

その一瞬が、
二人の胸に同じ温度で残っていた。

秋川は、
胸の奥の熱を抱えたまま
ゆっくり言った。

「……はい……
 触れそうで……
 ちょっと……ドキッとしました」

その“ドキッとしました”は、
昨日までの秋川なら
絶対に言えなかった言葉。

北見の表情が、
一瞬だけ揺れて
すぐに柔らかくほどけた。

「……俺もです」

その“俺も”が、
秋川の胸の奥に
静かに落ちた。

触れなかった手の温度が、
二人の距離を
確かに変えていた。

席に戻ると、
日常の音が戻ってくる。

でも、
二人の世界は昨日より近い。

視線が重なるたびに、
胸の奥が静かに跳ねる。

触れない距離。
でも、
触れたような距離。

昨日より近い。
昨日より深い。

“触れなかった手が、二人の心を近づけた朝”

1件のコメント (新着順)
イワナ
2026/05/03 18:12

早く!早く手を握らせてあげて〜💦