TORQUEフォト

TORQUEと行った柱島沖4キロ

戦艦陸奥ダイビング(ダイビング以外の写真はほとんどTORQUEG5で撮りました。)
昭和18年に原因不明の爆発事故を起こし柱島沖で沈没した戦艦陸奥のタイピングポイントに行った。

40メートル視界5メートルと言う環境のため、事前に厳しいスキルダイビングチェックし現地に向かった。スキルチェックでは、それでは危険なので連れていけないと諸注意を受けるダイバーもいてとても緊張したが、無事にクリアした。

【戦艦陸奥について】
軍艦 陸奥は「長門」と共に、日本の力の象徴として日本国民に長く愛された。 横須賀海軍工廠で建造。 また竣工当時は世界に7隻しか存在しなかった40cm砲搭載戦艦として『世界七大戦艦』と呼ばれた。
陸奥と長門は交互に連合艦隊旗艦の任にあったため、知名度は高かった。 戦前の学校の教科書に描かれたり、男子がイメージする軍艦といえば、当時の連合艦隊旗艦である長門、陸奥であった。
『陸奥と長門は日本の誇り』といういろはがるたも作られ、海軍兵学校でも「陸奥、長門の四〇センチ砲が太平洋を睨んでいればアメリカは攻めてこない」と語り継がれた程である。
第二次世界大戦中には他の戦艦部隊(大和、長門、伊勢、日向、山城、扶桑)等と共に温存された。陸奥はミッドウェー作戦や第二次ソロモン海戦等で出動したが、敵水上艦隊と交戦する事はなかった。1943年(昭和18年)6月8日、「陸奥」は原因不明の爆発事故を起こし柱島沖で沈没した。

【戦艦陸奥ダイビングの感想】
戦艦陸奥はとてつもなく大きく、とてつもなく長かった。ここは本当に日本の海かと不思議な感覚に襲われた。
艦体は回転するように横倒しになっていて、その残骸が今もなお惨劇の悲惨さをリアルに伝えていた。80年以上も前に起きた悲劇だけど、国を憂え日本を守ろうとした陸奥乗組員達が、ここにいたという事実が、戦争のない平和な時代に生まれ、今まで一度も命の危険を感じることなく生活してきた今の自分の当たり前が、実は当たり前ではないという事実を思い出させてくれた。

普段このあたりは、もっと濁っていて流れも速く、透明度がとても悪いそうだ。
私が行った当日は、透明度も噂ほどではなく、流れはほとんど感じなかった。きっと、陸奥が私達を快く迎えてくれたんだと感じた。

戦争は絶対にしてはいけない。美化もしてはいけない。それは、絶対だ。だた、終戦記念日には色々と賛否両論な意見が飛び交うが、国のため亡くなった方々に『安らかに眠ってください』と思う日が年に1回くらいはあってもいいのではないかと、少なからず私はそう思っている。

ダイビング後、戦艦陸奥記念館にも立ち寄った。記念館では、引き上げられた備品と乗組員の遺品を中心に展示されていた。記念館を見下ろす併設の公園にはスクリューや副砲や船首などのパーツが展示されている。その一つ一つのパーツ大きいこと大きいこと…陸奥の大きさを容易に想像できた。
この陸奥記念館から4・5キロ沖合いでの沈没した…今では陸奥の沈没の事がまるで嘘のように波の音と太陽の光りが引き上げられた船体パーツを包み込んでいた。

【戦艦陸奥沈没事件】
 1943年(昭和18年)6月8日、「陸奥」は原因不明の爆発事故を起こし柱島沖で沈没した。
海軍はこの爆発事故の原因究明のため、査問委員会を設置する。爆発原因は当初、三式弾(対空用砲弾)の自然発火が疑われたが、目撃証言や検証実験から、発火したのは装薬(砲弾を発射するための火薬)と推定される。
直前まで艦内で窃盗事件が多発しており、容疑者への査問が行なわれることになっていたことから、これを逃れるために放火したとの説もある。
しかし発火の直接原因は、2021年現在に至るも特定されていないが、技術的に見れば自然発火はあり得ず、放火など人為的なものであると結論せざるを得ないとしている。


【陸奥引揚について】
戦後に浮揚作業が行われ、1970年(昭和45年)には艦体の一部や菊の御紋章、主砲身や主砲塔などが回収され、日本各地で陸奥の装備が展示された。大戦末期にアメリカ軍の攻撃で沈没し、終戦後に浮揚され解体処分された他の日本軍艦と異なり、艦体の一部が2021年現在も周防大島に残っている。 

戦後、戦艦陸奥は昭和24年柱島沖から一部引き揚げ開始したが、透明度5メートル、40メートルを超える海底作業は困難を極め、まもなく中止された。

昭和45年、遺族や生存者らの熱意が実り、深田サルベージによって引き揚げが再開された。昭和53年まで引き揚げ作業で、将兵の遺骨や遺品と共に、主砲など艦体の75%が引き揚げられたそうだ。
 

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3 件の返信 (新着順)
ナナヨン バッジ画像
2024/08/26 23:37

停泊していた戦艦「扶桑」が爆発を目撃し、「ムツ バクチンス 一二一五」と海軍上層部へ通報。三番砲塔付近で爆発、四番砲塔後部から船体が真っ二つに。
犠牲者1100名を越える大惨事になりました。
当初米潜水艦の雷撃かと4隻の駆逐艦が爆雷攻撃を開始したそうです。
現場の混乱が伺えます。

嫁さんの大叔父が戦艦大和乗組員だったので胸が痛いです。


爆破はすごい音で周辺島民にも陸奥沈没は知れ渡ったそうですが、箝口令がひかれ一切口外禁止だったそうです。
生存者にも同様で、口外を恐れ治療後すぐに最前線に派遣されたようです。
テレビの企画で生存者にあう企画があり、その中で今の陸奥水中写真を見てもらったそうですが、
浴槽や便器は上官しか使えなかったそうです。艦内部はトップシークレットなので上官以外は自由に移動できなかったようで、共同トイレ、共同風呂を使っていたそうで、その存在すら知らなかったと、企画倒れだったようです。

そうだったんですね。今の自分逹の生活があるのは、とおとい犠牲の上になり経っている事を忘れてはいけないってずっと思っていて‥感謝しかないです。

ま、まさかコレが物理ボタンが壊れているTORQUE5Gでの撮影なんて😱✨👍

凄いですね😀💥🍺👍

トレジャーハンターみたいな動画でした😀🍺👍いいもの見れて幸せです😀💥


5Gから6Gに乗り替えても、わざわざ一旦画面を切り替え、設定から音量ボタンを操作する癖がついてそれが抜けず、最近ようやくサイドボタン使うようになりました(笑)

06になったんですね😀📳👍✨

おめでとうございます🎉

abcd
2024/08/26 13:35

TORQUEアンバサダーのような
別格のクオリティを持つシリーズですね


abcdさんありがとうございます。お褒めのお言葉、めちゃくちゃ嬉しいです。
自分は、TORQUEに出会って自分の可能性が広がり、その時の自分さえ知らなかった高みに上がり新しい自分にも出会うことができたとともに沢山の淡い淡い思い出を作る事ができました。
個人的には、TORQUEの可能性って無限だと思っていますので、TORQUE知らない方々にはそんなTORQUEに興味持ってもらえるにと、TORQUEユーザーの方々にももっともっとTORQUE良さを再認識していただけるようにと、最近はそう思って書いてます。
ですので、コメントすごく光栄に思いました。ありがとうございました。