『 人は相手が自分に抱いているイメージを演じるように話している。』
この言葉は数年前に、何かの番組で心理学の先生が仰っていたと記憶しております。
まったく当たり前のことを言ってるようでもあるし、まるっきり間違ったことを言ってるような気もします。
よく〈本当の自分〉〈ありのままの姿〉などという表現があります。
では、実際にそのようなものって、具体的にはどんなものでしょうか?
深く考えてみると〈本当の自分〉って、自分でも分からない気がします。
ゆえに、もはや一種のイベントのようになってしまった『自分探し』なるものにハマってしまい、世界各地を放浪したりする人が出てきたりもします。
『自分探し』というのは、文法的に考えてもかなり変なものです。
本来は、" 探す "という行為は、もちろんその" 探す "という〈対象のモノ〉が分かっていないと、成立しないはずです。
だから『自分探し』なるものの成功事例は、聞いたことがありません。
少なくと私は。
『自分探し』なるものを、正確に表現するとしたら、
「自分に最適な生き方が分からないから、取りあえず広い世界を旅行して見聞を広めてみよう。」
なんかが、妥当なところでしょうかね?
どんな人でも、社会の中ではそれぞれの役割を担っていると思います。
その時・その場所・その人(相手)によって、自分なんていくらでも変わっていくのだと思います。
こんなことを書くと、
「それはアナタが、《 確固たる自分 》というものを、持っていないからだ。」
なんて、言われそうですけどね…(汗)
確かに持ってないので、" ハイそうです。" なんですが。
個人の好みなんていうのは、その時の状況と気分によって割とコロコロ変わってしまうのが、普通ではないでしょうか。
例えば " 俺 珈琲はホットでブラックと決めているんだ… " なんて、普段から周囲の人たちに言ってる人が居たとします。
そんな人だって、酷暑の夏には〈冷たいアイスコーヒ〉が飲みたくなる時だって、たまにはきっとあるはずです。
ですが、普段会う人たちの前では、イメージの自分に合わせるために、我慢して〈熱い珈琲〉オーダーすることになってしまいます。
もちろん、" 今日は凄く暑いから、アイスコーヒにする… "って言える人も居るでしょう。
だけど、わざわざ普段から " 俺 珈琲は… " なんて、誰も聞きもしないのに自分から言ってるような人は、自己主張が強いタイプでしょうから曲げないと思います。
なんか…窮屈ですよね。
そんな風に、自分を自分のイメージでガッチリ固めちゃうて…(汗)
冒頭に記した言葉のように、誰もが無意識に、
『 人は相手が自分に抱いているイメージを演じるように話している。』
のだとしたら…。
自分のイメージなんて意識してワザワザ構築しなくても、初対面の人でなければ、もぅすでに勝手にその人の中にあるのでしょう。
いつも会うと、自分のことを『僕は…』と言っていたひとが、ある日急に『俺は…』ということは、あまりありません。
私とその人との、二人の間では、その人は『僕』なのです。
あくまでも私の前では、その人は『僕』という自分を演じているのです。
だから、たまにその人の昔からの友人を入れて3人になった時には、僕と俺を交互に替えながら話していたりします。
「まさこさん、僕はこのまえね…」
「あっ、お前もそうか。俺もそう思ってたんだけどね…」
僕も俺も同じその人ですから、どっちが本物のその人とか無いです。
これなんかは、その相手の前で自分を使い分けている、良い例だと思います。
中には男性でも女性でも、自分のことを指す一人称の表現を、そのまま《 自分は… 》と表現してる人もいます。
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多分そんな人は、人によってなるべく『自分』の使い分けを避けたいのかもしれませんね。
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投稿を表示ありのままのって曲がすごく売れましたね。
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投稿を表示中々興味深い✨😀☕👍